2017年5月5日金曜日

2017年度信徒土曜講座申込締切

 信徒土曜講座の申込は、5月7日(日)が教会締切です。たくさんの方々のエントリーをお待ちしています。

 「主に喜ばれる結婚とは~聖書的な結婚観」を受講すると、6月17日(土)のカナ・フェロシップの参加費が割引になります。

2017年4月27日木曜日

「後援会たより」発刊!

 聖宣神学院後援会は、2017年3月の年会で設立総会を行い、正式に活動を開始しました。皆さまのお手元に「後援会たより」創刊号をお届け致します。


 推進委員の企画担当の方が内容を詰めてくださいました。充実した誌面構成になっています。記事は以下の通りです。

  会長巻頭言
  祈りの課題
  設立総会報告
  推進委員メンバー紹介
  世話人一覧
  新入生紹介
  教師陣に、聞く
  BTCの一日紹介
  推進委員からひと言
  院長コラム

 ぜひ手にしてお読みください。

2017年4月6日木曜日

聖宣神学院後援会設立総会のご報告

2017年3月15日(水)午後8時より、一年の準備期間を経て、後援会が設立総会礼拝をもって正式に活動をスタートしました。

1年前の年会で構想が発表され、教団の先生方の暖かいご理解・後押しをいただいて、準備を開始しました。

3名の信徒の方で発起人会を立ち上げ、その後、お交わりをいただいておりましたルーテル神学校の後援会の方々から構成や運営のノウハウについて教えていただきました。ご指導に心からの感謝を申し上げます。

秋から、関東近在の信徒の方々8名、それに発起人3名を加えて、合計11名で推進委員会を構成、実際の運営について検討を開始しました。

全国の教会に神学院担当の方、世話人を立てていただくようにお願いし、3月の設立総会までに54教会でご協力をいただきました。

後援会は、企画・運営を信徒の方が担ってくださる「信徒運動」です。

この5月には「後援会たより」創刊号が発刊されます。教団機関紙である「教報」の神学院覧とはひと味違う、信徒目線の豊かな誌面構成になっています。ご期待ください。


山崎製パン総合クリエイションセンター(千葉県市川市)で行われた設立総会の様子です。馬場副会長の司会で進められました。中山会長の経過報告に続き、式辞説教を藤本満先生、お祝辞を内山勝先生からいただきました。


2017年度入学式・始業礼拝

4月4日(火)・午前10時より、入学式・始業礼拝をもって今年度がスタートしました。2016年秋学期合格者2名、2017年春学期合格者1名の合計3名を正式にお迎えすることができました。

学びと訓練のためにお祈りください。


第64期卒業式・終業礼拝

2017年3月10日午後、卒業式・終業礼拝をもって3名の方を送り出しました。お祈りを心から感謝致します。

卒業したお2人は牧師として教会で奉仕、聴講を終了したお1人は信徒伝道者として奉仕を継続されます。


2017年2月11日土曜日

第64期生卒業式

第64期生卒業式が、2017年3月10日(金)・午後1時30分から行われます。2名が卒業予定です。祝福をお祈りください。

神学院報巻頭言

行き詰まりも恵み

 「主よ。あなたはどなたですか」(使徒九・5)。「私は罪人のかしらです」(Ⅰテモ一・15)

 「私は何者なのだろう」と自らに問えば、パウロのように「私は罪人のかしらです」と答えるだろうと思います。しかしこれは、必ずしも実態がなくても簡単に言えてしまう、「クリスチャン好みのする」言い方です。
 この言い方の裏側には、「主よ。あなたはどなたですか」という問いがあります。人間は他者に向き合うと、自分を認識するからです。ですから、自分が見えれば見えるほど他者を知る度合いは深まり、他者を他者として尊重できるようになります。他者認識と自己認識はかなり連動しているのです。
 他者尊重は福音の神髄です。「私は何者なのだろう」という問いを真剣にした者の自然な生き様です。他者尊重が希薄な宗教は、神学や主張が明確でも、「私は何者なのだろう」を問うギリギリの線でイエスさまに向き合ったことが乏しいことの裏返しかもしれません。
 奉仕は指導ではなく、大切な他者である信徒の皆さま一人ひとりのありのままを尊重できることです。他者は自分の都合のために生きている存在ではなく、こういった面が全くないということではありませんが、教会の戦力でもありません。人はみな自分と同じ、血の通った人間であり、神さまが委ねてくださった宝ものです。これが他者認識と自己認識の問題です。
 自己を知ることによる他者認識は、情けない自分に涙した経験なしにはあり得ないということなのでしょう。いろいろ苦労はあったけれども、なんだかんだ言っても頑張ってやってこれた「私は何者なのだろう」は、エリートイズムを脱しない、人への共感が乏しく、他者尊重が希薄なイデオロギーです。逆説的ですが、神の国では行き詰まりも恵みです。自己存在を問う行き詰まりこそ恵みです。なぜなら、恵みの世界は何度も出直しができるからです。